奈良の昔話

8月10日(金曜日)               
奈良の早起き

むかし、奈良の鹿は神様のお使いだというので、傷つけたり、ころしたりすると
重いばつをうけました。シカは、町の中や家の庭先までやってきて、いたずらを
するようになりました。ある時寺子屋にくると、子供たちの大事な習字紙をムシャ
ムシャ食べたので、三作という男の子が、「あっちへいけ。」といって文ちんをなげつけ
ました。その石がシカのみけんにあたって、シカはドォとたおれると、そのまま死んで
しまいました。三作はとらえられ、生きたまま、シカと一緒に土の中に埋められました。
その上にたくさんの石をのせたので、人々は、「石子ずめ」とよんで、
大変おそれるようになりました。
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冬の寒い朝のことです。ある家の前にシカが死んでいました。
家の人が朝、戸をあけて見つけると、「えらいこっちゃ。」とあおくなり、となりの家の前に
シカをひきずっておいておくと知らん顔をしていました。隣の家の人も、
同じように、「えらいこっちゃ。」といってシカをひきずってその隣の家の前に
おきました。そのまた隣も、またまた隣も、みんな同じように、「えらいこっちゃ。」
といってひきずりっている内に、とうとう、一番おそくまで寝ているねぼすけの
ところまで運ばれました。ねぼすけがなにも知らずにねていると、役人がきて、
「おい、起きろ、シカをころしたのはおまえだな。」といって、ねぼすけを起こしました
ねぼすけは、死んだシカを見ると目をパチクリさせて、「わしはしらん。」といいました。
「いいわけは聞かん。」といって役人は、ねぼすけを縄でしばるとつれていきました。
ねぼすけが、三作と同じように、「石子づめ」にされたので、三作の母親は、
あわれなふたつの墓の上にカエデの木を植えました。カエデは青々と葉をしげらせ、
奈良にねぼすけがいなくなったのは、このときからだといわれています。
終わり